2008-01-01から1年間の記事一覧
目標設定と疲労に対する考え方を考えなくちゃ、ダナ。
どんなに世の中分かっていても、最後は誰がやるかということなんですよ。
微妙に違う。それが重要な時とそうでない時がある。
結局、あなたに会って僕が何を感じるか。そして、僕に会ってあなたが何を感じるか、でしかないんだよね。
さぼってたんじゃない。何にもしないをしていたんだ。
身につけた能力に、振り回されることもある。
言葉つなげて意味作る。自分より大きすぎたり小さすぎたり。
面白いことを見つけると、他のことに気が回らなくなる。
そんなに話してないのに、印象に残る人っているんだよね。 合掌。
目立ちたがり屋とそうでない人の表現は、当然違う。
ようこそ・・、こんにちは・・・、えっと、えっと、なんだっけ?
おちゃらけいいとこどり。いいかげん帳尻合わせ!
才能があるとかないとかじゃない。だって、うまくいったりいかなかったりするじゃない。
ただ、ひたすら何かを待っている。 何を待っているのかって? それは僕の「リアリティ」さ。 最近、近くに気配を感じ始めたんだけど・・・。
虐げられた灰皿の周りには、案外豊かな会話があったりする。
人を馬鹿にするということは、自分の醜さを表現しているということだよね。
過ぎ行く時間に悲しさを感じたら、ファドやシャンソンがわかる時期になったとういこと。
「なかよし」は小さな「奇跡」
力を否定して力を得ようとしている人へ。 そこに感動はあるのかい?興奮じゃなく。
もすこし器用になれたらな。でもそれができたら、ぼくじゃなくなる。
理論物騒!理論暴走!理論ウッソー!
薄っぺらなヤツほど、薄っぺらな根拠で、他人を批判をしたがるものさ。そして、それは何の役にも立たない。
ボーッとしていたい。ただ、ボーッとしていたい。
三半規管だけが、頼りの時って、意外に多い。
何でもいいんだけれど、結構こだわる.
一筋縄で行かないことの方が、面白い。
いつもそこにいてくれる、大切な存在.
遊びで覚えたことの方が、忘れない。
本来、表現というのは受け手にとっては面倒くさいものだ。 だから、何かを表現しなくちゃいけないときは、「わかりやすく」「面白く」するのは礼儀じゃないか。だけど、それが難しい。
目的でもなく、手段でもなく、役割でもなく、今ここにいる自分という存在。