2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧
「アート」や「カルチャー」や「スポーツ」っていつも町おこしと絡んでくるんだね。
一度知ったら、一度理解されたら、一度関係ができたら、なくなる種類の価値もある。
寄せてあげてをやりすぎると、定位置がなくなっちゃうんだよね。
そこで力んだり、怒ったりしても、問題が早く解決する訳じゃないのに。
「なーに、そんなこと言っちゃってくれちゃって、そんなのあるわけねーだろーがよー」ということをニコニコしながらやりつづけようとおもうんだ。
「パラダイス」っていう言葉を「浅草」で聞くと、ちょっと嘘くさくって、暖かく感じるのはなんでだろう?
「時代の解釈」は「ユーザーインターフェース」によく似てる。「こうすればわかりやすいでしょ」といわれてもどうもしっくりこない。
日々進歩する「技術」は、今まで不可能だった「統制」も可能にしてしまう。「自由」をどう守るのか?
「いい加減」は「体力」と「熟練」不足。
一番大切な感覚は「心が通う」かどうかだ。けれど、それがなぜなのかいまだに不明だ。
「Beauty」は大人、「Pretty」は子ども、「Kawaii」は両方ってことか。この両方っていうのが、「Parent」意識が強い外国人には理解しにくいんだろうな。
なんだかこころの置き場所が定まらないとき、あれこれチャンネルを回してる。
「検索」で得た知識の優位性は相手が「検索」するまでだ。
もしもだよ、そこに行ったとして、体が拒否反応起こすような音を聞かされたらたまらないじゃないか。
さあ、今日も「日常」という「冒険の旅」に出よう!
日常流れてくるニュース、情報に対して僕らは瞬時に「スタンス・イメージ」みたいなものを作るようだ。その持ち方によってその情報は、「大したこと」になったり、なくなったりする。
ふと見ると、電車の床に何か光る物が落ちている。あれは猫かな?犬かな?動物型をしたクリップだった。そっとしゃがんで拾ってみる。何かの「サイン」かな?ともおもったが、以後別段変化はない。
「新しさ」や「事実」にこだわりすぎると「話」はおもしろくなくなる場合が多い。