2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧
結局、「戦略」といったら「当たり前」のことをより速くやるか、その裏をかくか、ぐらいしかないのかなあ?
結局、プライベートでない文化論、オンタイムでない文化論はおもしろくないし、嘘くさい。
そこに「価値」があるのはわかる。でも、敢えて聞きたい。「そんなの必要か?」
向こうにあるのは「気休め」か、それとも「運命の感覚」か。
街では時々リアルに一人でツイートしている人を見かける。
「ミーちゃん、それじゃ、ここでさよならね。4年間ありがとうね。」とコンビニの前でぐずる娘と母親のやりとりに遭遇。吹き出しそうになった。
宗教関係者も損をしたり失敗したりするんだなあ。その原因はやっぱり「誤訳」?
僕が間違っていて君が正しい確率と君が間違っていて僕が正しい確率は50歩100歩だ。
「私はなにも悪いことしてないもん」「私は間違ったことをいっていない」といっても、文句を言われる。実際は被害など受けていない人に「昔、先祖が被害を受けた」なんていわれると、こちらから話しかけるのをあきらめるしかない。過去は変えられないから。
そのスクープで、ほんとに「新聞」や「雑誌」が売れたり、「テレビ」の視聴率が上がったりするんだろうか?
ダボダボのズボンでダラダラと歩く。登校途中の中学生に、一番あうBGMは、ブルース・ギターのナンバーだ!オー、イェイ!
もともと「ディシジョン・ツリー」と「プレゼンテーション」はやたらと相性が悪い。それは、後者が「感情」に訴えることを目的の一つとしているためだ。
昔、「マーケティング」は「拡大」と同義語だったはずが、最近は「しわ寄せ」に近くなってきたような気がしてならない。
「時代」とか「世の中」に対峙したと思っている人は、その癖が抜けない。でも、彼が本当には対峙していたのは、そのときの「業界」だ。
おいおい、君のその「自信」の根拠を教えてくれよ。「どうしてそんなに疑り深いんだ」って?ほら、いま、ごまかしたよね。
所詮、「地縁」「血縁」に根付いていない「社会貢献」や「社会事業」は短期的にならざるを得ない。
社会という舞台では、大根役者と性格俳優と名優があちらこちらで交差している。困ったことに、ぱっと見、見分けがつかない。
やっぱり、「いらっしゃい、いらっしゃい、いいものあるよ」と「ありがとうございます」が商売の基本だ。
「大気」というのは、地球上のありとあらゆる「生物」の「呼吸」の結果なのだ。
そこを「舞台」と見るか「舞台裏」と見るか「解放区」と見るか。
「ああ、それなら、こうすればいいんだよ」なんてことばっかり言ってると、自分が何をしたかったのか忘れちゃうよ。
本来的に「リーダー」と「ジャーナリスト」は両立が難しい「仕事」である。