2015-01-01から1年間の記事一覧
それは宗教というよりも、空間が持っている神聖さや、ドラマなのかもしれない。
「語り継ぐ」も「エバンジェリズム」も言ってしまえば「受け売り」だ。でもそれでいいような気がする。
僕は多くのともだちを作りたいと思うタイプではないのだが、多くの人が集まる場所を作りたいとは思う。
「享受」なき「改革」、「ポーズ」だけの「新機軸」。
「業績」は「寄せて上げて」ができるけど「仕事」はそんな風にはできていない。
欲しいのは、威張らなくていい自信と、説明しなくていい信頼です。
「ナルシスト」にならなきゃいけない時と、なっちゃいけない時がある。
あなたの知っている「美しさ」について知りたいと思うんです。そして、「美しさ」を感じる心を知りたいと思うのです。
「知識」というよりも、その一歩手前の「たどり着いた情報」をどう取り扱うか、それが問題だ、
同じ時代の空気を吸っているわけだから、あとはどんな吐き方をするかということで・・・。でも、あんまり考えすぎると、息が詰まっちゃうよ。
静かな恐怖と失望が心を狂わせていく。
気分はいつも「ロールシャッハ」
自分がよく知っていることについて、間違ったことを聞いた瞬間、心の中に生じる現象に関しては「取扱注意」だ。
それは「生れ出づる悩み」と「存在の耐えられない軽さ」と「サムマネー」なんですよ。
「自分」と「時代」と「価値」の三角関係
感性によるコミュニティ・イン&コミュニティ・アウト
相手との「ストーリー・イメージング」の違いが問題を引き起こす。
欲しいのは「自由な表現」じゃなく「自由にしてくれる表現」だ。
宗教って、愛と平和に役に立たないのかもしれないね。
「臆病」と「無関係」が最大の「防御」だったのに・・・。
「尊敬」と「拒絶」が同居する存在というものが案外多いのかもしれない。
頭に浮かんだ言葉でも口に出したり書いたりしてはいけないものがある。
いつも理解と表現はピタリとこない。余分だったり足りなかったり。
民主主義と共産主義とファシズムの三角関係。僕たちは戦前の日本を知らない。
表現の究極の目的が世界にインパクトを与えることだとすると、その反響を受ける覚悟が必要になる。
情報共有の高速化は集中的な「殺到」と圧倒的な「閑散」を産み出している。
テレビの前では何もしないでいられるが、ネットの前では「何かしろ」と強要されているような気が少しする。