2011-12-01から1ヶ月間の記事一覧
一億総評論家の評論家の時代。報道批評って重要な気がする。
やっぱり戦争に負けたというのは悔しいな。戦争も知らないし、だからどうするということもないのだけれど。
複雑系の問題を解決しようとすると薄味になる。でもそれは欲しいものじゃない。
何でもない人の乱
後出しジャンケンの意見ていうのは、どんなに熱意あるプレゼンでも聞く気がしない。
目的が一緒でルートが違うだけなら、やっぱり楽しい方がいい。
いいわけもきちんとすれば前に進める。
「理解できないこと」を「嫌い」と言っていないか?
良くも悪くもとれる境界線近くの表現は、誤解を生むことも多いけど、それも表現の面白さでもある。
売れっ子作家にとって、デジタル化というのは、せっかく積み上げた価値ある言葉を、ゴタクの砂漠に投げ捨てるような感覚なんだろうな。
本当は作品だけを見ていればいいのだけれど、どうしても作り手の人生というのが気になって仕方ない。
ルールを作る人、破る人、無視する人、守る人。どれも正しかったり、間違ったりしている気がする。
否が応でも僕らは時代に生きている。その中で考えること、考えないこと。
自分では「あんまりうまく言えなかったな」と思っていることに、「本当にそうだよね」といわれると、どうしていいかわからなくなる。
「コミュニティ」は「正論」が苦手だ。
1ミリズレただけで印象は変わる。
結局知りたいのは、「神の啓示」でもなく、「人生の転機」でもなく、「退屈じゃないこと」なんじゃないのか?
最近、自分がよく知らない世界で起こったことについて、怒ったりすることが正常なのか少し疑問を持ち始めている。
買ってきたケーキを崩さないように、帰りの電車に乗る記念日。
行動を伴わない「ポジティブシンキング」はかなり危険だ。
みんな今、冒険の途中なんだよね。それが勇気になる。
「確信」は自分の中だけにある。それをどう人に伝えるか。証明できるかどうか。
「つながる」ということは影響を与えることでもあり、影響されることでもある。特にネット上ではリアクションがわかりづらい。
難問は断れないところからやってくる。
僕の一つの行動を変えさせるために、僕の人生のすべてが間違っているかのような説得の仕方はやめてくれないか。お願いだから。
手持ちのカードを最大限活かす交渉は「多数決」ではできない。ましてや手持ちのカードが相手に知られていたら交渉になるはずがない。
みんな”努力の勲章”が好きだ。
ちょっと席を外すと全然話が見えなくなるのは、ネットの世界でも頻繁に起きる出来事だ。
いつも「YES」と「NO」の札を持っている彼の本音は、「但し書き」でいっぱいのはずだ。
少しずつ削り出すような作り込みをしたいのだけれど、いつも時間が足りなくなる。