2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧
う〜ん、20万人か。一人1000円として2億円。それでソーラーパネルってどれくらい買えるんだろう。なんて考えるのは、不謹慎なんだろうな。
真面目で、正しいのに、なぜか人を不愉快にさせる対応がある。たぶんそれはそこに「感謝」がないからなんだと思う。
「えっ!あの人って二の線ねらってたの?」という鈍感さが僕にはある。
「ことば」というのは、心の重石になったり、心の扉を開く鍵にもなる、扱いの難しい道具なのだ。
感覚的な「正しさ」には世代間格差がある。年上は「抽象」を受け入れられる分だけ、「正しさ」の対象範囲が広い。年下は「具体」でないと理解できないので、「正しさ」の応用が利かない。
相手の逆鱗に触れるような事柄を、きちんと話しておかないといけないし、自分の感情を逆なでされるようなこといわれても、冷静に受け止めなければ、話にならない。
少数意見を封じ込めてしまっては、民主主義はなりたたない。ただ、自分が少数だと思っていたら、実は大多数の中にいた、なんてことが起きているのかもしれない。
誰がなんといおうと、この国のすばらしさの一つは「銃社会」でないということだ。それが結果論であろうがなんでも。
最近の「秘密」には「足跡」がくっきり残るらしい。
「なぜこんなことが目の前で起こるのか」。「善良」な人たちの「困惑」と「狼狽」の連鎖。そして、見えない相手からの「責任をとれ!」というヒステリカルな罵声。真面目に穏やかに生きてきたはずなのに、いつの間にか悪者になっている。
「複雑な問題」に対して「単純な答え」が本当に有効なのだろうか?「専門性」のない意見をいくら集めても解決策は出てこない。
美しい花の「根」と「土」を理解する。
街のキブン、海のキブン、山のキブン、そこに描かれた空間のキブン。
「退屈」と「沈黙」を共有し、ありふれた会話を交わすことで、関係は深まっていく。
基本は、鶴の折り紙とラジオ体操かぁ?やってみると意外とできなかったりする。
僕の友達は、彼の他の友達の話をよくする。なので、ぼくは「友達の友達はみな友達だ」とは思ってはいないが、彼の友達のことはよく知っている。
「気が利くね」という言葉をいわれたいがための行動が、話をややこしくしていることって、案外多い。
いま、それを気が付いているのは君だけかもしれないけれど、それをより多くの人に気づいてもらう必要があるんじゃないか?だから、まだ気が付いていない人を馬鹿にするのはやめようよ。
「君には使っていない能力がある」と言われたんだけど、いまそれを思い出しているんだ。
「そんなの答えは決まりきってるじゃん」と思うことほど、中途半端な情報で判断していることが多い。検証が必要だ。
音楽の周波数が心を和ませるのか、いらだたせるのかは実はすごく微妙な違いなんだと思う。
かつて「甘えの構造」はコンプレックスだったが、今必要なのは「甘え」なのかもしれない。
後出しじゃんけんで語られる「知性」ほど、心に響かないモノはない。「現場」の「必死」の「混乱」を笑うなかれ。
「偶然」がそこに加わると、物事が急に進むことがある。
モノを買うとき、これが売り子の利益になると思うから、文句も言えるわけだが、その売り子が、もし、ボランティアだとわかったら、何も言えなくなる。でも、それはすぐにはわからない。
形にならない「知」や作業を伴わない「知」に危うさを感じる。ワッショイワッショイ。
「文化人」は独自の理屈を展開し、神経質で怒りっぽい。「文明人」は常に新しいものを欲しがって、それを入手したときに一番満足そうな顔をする。
「普通の人」ってどこにいるんだろう?